2013年3月18日月曜日

【新作】こうこう | koukou について(2)


『こうこう | koukou』

無意味な言葉の可視化を試みた抽象アニメーション+肉声による多重録音作品
『見たモノを描いたのではない。見ようとしたモノを描くのだ。』

監督: 大橋史
作曲: 羽深由理
ミキシング: 滝野ますみ
歌: ルシュカ
ドラム: 田中教順 (from DCPRG)
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五十音節gif animation
koukougif.tumblr.com/




というわけで最新作『こうこう | koukou』の解説後編です。後半は音楽や映像の演出について込み入った説明をしていきます。


ーーー

・音楽について
カメラを意識させない映像演出でいうと前作CHANNELERにも共通している部分だけど、CHANNELERとこうこうの映像の構造や展開も対局にある作風にしたいという意識が制作を進めながら、その意志が強くなったと思う。

前者はジェンガみたいな、シンプルなルールの上で一つの構造を積み立てていく様がスリリングになるように作っている。後者はドミノ倒しみたいに、ルールや構造よりもダイナミクスやアクロバティックさを重視している。


映像が縦に緊張感を与える構造なのか横なのか、、というおおまかな構造を根本的に違った作品にしたかったからだ。その結果、楽曲はプログレッシブロックのような変拍子と高い歌唱力が必要とされるメロディとリズムセッションの嵐となった。



羽深由理と滝野ますみと三人で楽曲についての方向性を話した際にオーダーとして「上原ひろみのようなプログレッシブジャズと歌ものが融合したような曲に映像を付けたい」というアプローチをシェアする。

ここで問題なのは、ジャンルをジャズにしてしまうと音楽を演奏するプレイヤーの個性に依存するジャンルのために、コンポーザーとしての力を発揮できないという理由で、結果的に「プログレッシブな楽曲」という方向性が残る結果に。



今回の音楽面で顔とも言えるヴォーカルについて話すと、元々、僕が過去の二作品が男性ヴォーカルたったので、今回は女性を起用したいと意見した結果、歌唱力と表現の幅の広さからニコニコカルチャーで人気の高いルシュカに依頼する流れになった。

ルシュカはロック調の力強いボーイッシュな歌声からオペラのような神々しいファルセットまで使いこなす七色いんこのような歌手で、今回の声や言葉が重要な作品においてハマり役と言える。

声を主役にした楽曲なので、バックを支える音の要素は出来るだけシンプルにしたい。最初の希望は「声・ドラムセット・金属音の楽器・電子音」という肉声に対して自然物では出せない音である金属音と電子音を組み合わせて対比効果が生まれると思い起用。

実際、ヴォーカルのルシュカが女性のため、高音に偏ると音楽に深みを出しにくくなるという理由で先に挙げた音にウッドベースを追加することに。

音楽面で最低限必要なメンバーが揃ったところでリリックをどうするかを決めていった。

無意味な言葉の歌をどうやって作っていくかが難題でした。進化論とか宇宙の誕生など既存のプロットがあれば作り易いけど、無意味でありながらクラシックのような時間軸の起伏が作れる言葉の歌を考えていくにはどうすれば良いか。

そこで、あらかじめ音楽と映像のダイナミクスをはじめに決めて、それにハマりそうな音節の組み合わせを考えていくことで、リリックが自然と決まっていく。

リリックは大きく分けて7つのフェーズで構成されており
1.イントロ 
2.点と線 
3.移動 
4.空間
5.言葉にならない言葉 
6.ドラマチック
7.アウトロ
というようなテーマが設けられている。


1.イントロ
楽曲の導入を花火を打ち上げたようなインパクトのあるシーケンスにしたく濁音を中心にした音節の繰り返しで構成している。

2.点と線
パ行とラ行と中心に構成。破裂と曲線的な運動が交差して空間に音が点在するイメージで構成。

3.移動
音が空間を移動していくイメージ。母音を引き延ばした歌詞の構成

4.空間
子音+母音(あ)で広がりのある歌詞に。後半はハ行を中心にエネルギーが広がるイメージで。

5.言葉にならない言葉
っっ曖昧な音節ハッキリした音節。言葉が段階的に変容していくイメージ。

6.ドラマチック
「っ」である促音を組み合わせて抑揚のある歌詞。メロディと相まってドラマチックな構成に。

7.アウトロ
イントロ同様に濁音の多い音節の構成。


1.イントロ
ば た ぱ だ  ば た ぱ だ  ば た ぱ だ
ば た ぱ だ
ば た ぱ だ    わわわわわわわわわ 
つゎとぅてぃてぃ つゎとぅてぃてぃ
しゅゎん ぐゎん  
るーーー


2.点と線
ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら ぽろりん ほろろん
ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら ぽっきん もっきん
ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら ぽるりん ほるろん
ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら ぽっけん もっけん (はーーー) 


ぱら  ぴり  ぷる  ぺら どこん どこん
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら ぽこぬ ぴかむ
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら にむのめものぬ
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら ぞっけん ぽっけん
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら ごっこん ぱっぽん
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら ごっこん ぱっぽん
※ 

*~※ 繰り返し
び び び  ぎ ぎ ぎ       


3.移動
つぃー  すぃー 
とぅー  でゅー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー



4.空間
(ささやき声で)
しゅるじゅるとぅるぬるあじゃぱー うにゃまー 
ほしゅふぃすょ にゃむぶしゅぇ みゃぷくぅ うにゃまうにゃま…
ゃにゃぴゃしゃか
わーーーーーーーーーーわーわーわー
ままままーーまー
ふぁふぁふぁふぁふぁーーー
はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ほゃ をも いしけは にほた あお ねのゆむめ みまゐる さしせとつと)
りぇりぇりぇれれれれれれれれれれれれれれれれれれれ


5.言葉にならない言葉
っっ すぉすぉ  そそ 
っっ ぐぉぐぉ  ごご 
っっ ぬぉぬぉ  のの っっ ぷぉぷぉ  ぽぽ 
っっ すぉすぉ  そそ 
っっ ぐぉぐぉ  ごご 
っっ ぬぉぬぉ  のの っっ ぷぉぷぉ  ぽぽ 
っっ すぉすぉ  そそ 
っっ ぐぉぐぉ  ごご 
っっ ぬぉぬぉ  のの っっ ぷぉぷぉ  ぽぽ 
ず! ひゅーーー てててててて いー あーーー
おおおおおおおおおおおおおおお




6.ドラマチック
おっこそっとの ねてぺてけ
うっくんつっくぬ ひゃにゃぴゃしゃか
あーか さたーな もごもぞこ
うっくんつっくぬ ひゃにゃぴゃしゃか


いっきしっちに ねてぺてけ
くっつんぷっつる ひゃにゃぴゃしゃか
はーま やらーわ びりぴりき
くっつんぷっつる ひゃにゃぴゃしゃか


☆~★ 繰り返し


7.アウトロ
で で で
ぷ ぷ ぷ
む ず ぐ ゆ む
りーじぴ  ぎーーぢび
ぱらやん がわざん
だばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだば

いーあーなーぶーまぁーーー
いあばゐ
いうすた

詞を元に羽深さんと僕とでデモ音源と絵コンテの投げ合いから最終的な音源が決まり、歌を乗せ終わったらドラマーの田中教順さんのドラム録音、そして僕もコンポジットが始まった。

結果的に、展開の変化が激しい音楽になった分、カメラワークを使わずに展開を考えるのは至難の技であったが、後半を具象性のある展開にしたことで、印象的な映像の流れが出来たと思っている。




・網膜の内側の世界
今回は音をイメージした世界、、つまり人間の網膜(レンズ)の内側で起こっている出来事というのを意識してる。普段僕らが目にしてる映像の多くは、映画やドラマなどの誰かの視点や第三者の視点、つまり網膜の外側の世界がほとんどだと思う。

『こうこう』のキャッチコピーである

『見たモノを描いたのではない。見ようとしたモノを描くのだ。』

は、現実にある風景やイメージを書き起こすのではなく、見ようと思ったものを描きたいという意志を現した言葉です。つまり網膜の外を表現するのではなく、内側の世界を描く必要があるということだ。

このコピーを考えたときに被写体深度やカメラアイを感じさせるような演出、消失点のあるパースペクティブが必要か否かを考えたときに、演出的に派手にはなるが自分の作品制作の動機になった美学に反すると思い、上記の演出方法を使わない方針を固めた。

しかし分かり易い空間表現を排除したことで、映像の迫力をどう出すべきか、作りながらとても悩んだ。そのときに同じカメラを用いず映像を作る方法のダイレクトペイントで作品を作っているノーマン・マクラレンの作品を見直してヒントを得ようとしてみた。





マクラレンの『線と色彩の即興詩』という作品は、コマに何も描かない黒い画面しか映らないシーンや、作画されたコマの間に黒いコマを組み合わせて差分効果によって描かいてないコマに動きを補完させ「コマとコマの間に何がおこっているか」を考えさせる演出を多用している。

この作品の面白いところはカメラレスの世界のためパースペクティブの存在しないのにも関わらず、黒い空間が狭く感じたり広大に感じたりと、シーンによって空間認識に変化を感じさせる所だ。つまりパースを描かずに無限の空間を表現できている事に驚くべきところなんじゃないだろうか。


こうこうの作風がマクラレンに似てるのは、そういった背景があるかもれいない。




・CGの有限性・限界線
『こうこう』の制作プロセスはすべてAfterEffects(以下AE)という映像加工ソフトで完結するように作られている。

本来はカメラで撮影された実写映像や手書きのアニメーションの画像などの「素材」と呼ばれるものを加工するための「道具」だが、僕はこのソフトを「素材」として解釈して作っている。

しかしCGアニメーションという言葉を聞くと、アバターやトランスフォーマーといったフォトリアルなVFXを想像しがちだ。

考えてみれば戦時中に使われたソナーなどのフィードバックをビジュアライズするためのアナログコンピューターから今日のハリウッド映画のCG表現も、画像のリッチさの進化に違いはあれど、本質である「現実を再現する」ということに変わりはない。

だが、僕はCGの本質は、そういった何かの再現のためのツールとして解釈していなくて、今では当たり前となった「カメラレスの世界」を表現できる方法なんじゃないかと考えてる。言い方を変えるとレンズを通さなくても光を描けるのがCGの魅力である。

まずカメラを感じる世界とはどういうことを指すのか。それは任意の視点と、そこから知覚できる空間感(消失点のあるパースペクティブや被写界深度など)を把握できることだ。



幸運にも、そのようなCGを使った方法論と、先に話した「網膜の内側の世界」にはカメラを用いない映像表現と相性が良いと核心した。

先に紹介したダイレクトペイントという手法は、レンズを用いないで映像が作れるという点において現代のCG表現に精通すると考えた。しかもダイレクトペイントとは違ってフィルムや塗料を用いず物質性を排除し、純粋に光を画面に描けるという事を考えると、CGを現代のダイレクトペイントにアップデートできるんじゃないかと考えるまでに至った。

つまり、CGを使えばより純度の高い状態で音楽を聴いて目蓋を閉じたときにイメージしたビジョンを表現できると考えた。

色彩も「網膜にイメージが焼き付いた雰囲気」「画面に直接光を描いてるイメージ」を再現するために、アニメーションを起こしたオブジェクトをそれぞれシアン、マゼンタ、イエローの三色用意して、三つのレイヤーを加算して白い色を作っている。

その中でシアンを1フレーム遅れて動くようにすることで、先に挙げたルックのイメージを作り上げた。

この光の表現こそ、皎々と輝く様が今回の作品のタイトルの由来にもなっている。


ーーー

最新作『こうこう | koukou』の解説は以上です。

長々と書いてしまいましたが、直感的に楽しめる作品にしたつもりですが、改めてテキストに作品の背景を説明することで、作品の見方が少しでも変わって見えても面白いかな、と思いました。

当分、大作志向の作品を作る時間をとるのは難しいですが、またこうこうの続編的な立ち位置の作品を発表出来れば良いな、と思っています。

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